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末期ルネサンスから初期バロック

ルネサンス末期に、フィレンツェのメディチ家宮廷のカメラータでいわゆるモノディ様式が誕生し、それまでと違ったいわゆる「第二の作法」が広まるにつれて、伴奏楽器としてのリュートに対する要請の変化から新たなタイプのリュートがつくられるようになった。フィレンツェのカメラータでは、古代ギリシアの音楽の復興をその目的として活動していたが、古代ギリシアのリラ(lyre)に相当する楽器としてキタローネ(テオルボ)がつくられた。これはバスリュートのような大きなボディーのリュートのネックに長い竿状の拡張ネックをとりつけ、そこに長い弦を付加したもので、バスリュートよりも低く強い低音を実現させている。このような超低音はモノディの劇的な感情表現の表出に効果的であった。キタローネ(テオルボ)は通常14コースあって、すべてのコースは単弦で張られる。低音拡張弦には指板がなく、つねに開放弦で用いられた。

同時期に、拡張弦を持つ似たような楽器としてアーチリュートやリュート・アティオルバートがつくられている。テオルボやアーチリュートにはさまざまな大きさのオリジナル楽器があるため、これらの種類の楽器の標準は存在していなかったと思われ、テオルボとアーチリュートの楽器としての区別はしばしば曖昧であり、これらは単に調弦の違いと理解することもできる。

後期ルネサンス以降リュートは和音を奏せる楽器であり、テオルボやアーチリュートは低音を奏せる楽器でもあったため、その後のバロック期にはあらゆる場面でチェンバロとともに通奏低音の楽器として用いられた。

バロック期 [編集]
バロック期にもリュートは独奏楽器としてよくもちいられた。17世紀のフランスでは、スティル・ブリゼとよばれる独特の分散和音を用いた作品が作られた。フランスのバロック音楽ではそれまで以上に不協和音が複雑化し、2度の音程を多用するようになったため、コース数を増やし、コースの間の音程を狭くする調弦(バロック調弦、下記参照)が用いられるようになる。初期には11コース、その後13コースの楽器が用いられ、これらを今日ではバロックリュートと呼んでいる。これらの楽器はしばしば比較的大型のルネサンスリュートを改造してつくられた。17世紀後半から18世紀前半ドイツではテオルボ型の拡張弦をもつバロックリュートがつくられ、しばしば「ジャーマンテオルボ」と呼ばれるが、調弦の上ではバロックリュートの一種である。

衰退期 [編集]
リュートはバロックの終焉とともに急速に衰退していく。その要因としては早く交代する和音への対応が困難であること、音量が小さいことなどが考えられる。その後リュートはハイドンの時代あたりまで生産され続けたが、やがて一般的な演奏用途からは完全に姿を消した。

現代のリュート [編集]

リュートの復興 [編集]
20世紀の初期、リュートは歴史的な楽器への関心の高まりによって復活する。オットリーノ・レスピーギのオーケストラ曲、「リュートのための古風な舞曲とアリア」(Ancient Airs and Dances)によってリュートは広く一般に知られるようになったとも言われる。「リュートのための古風な舞曲とアリア」の多くの部分は、音楽学者チレソティ (Chilesotti) が所有していた(が紛失してしまった)ルネサンス期のリュート音楽の原稿をもとにしている。

歴史的楽器復興の動きは20世紀後半の古楽復興によってさらに加速され、今日では、ルネサンスからバロック期のリュート音楽を演奏会や録音で聞くことができる。

オリジナルとコピー [編集]
リュート復興初期には、ギター製造の技術で形状だけをリュートのようにした疑似的なモデルが作られていた。

博物館や個人の蒐集で残存する歴史的な楽器を研究することによって、当時のリュートがどのような楽器であるか知ることができる。これらの歴史的楽器をオリジナル楽器という。20世紀後半の古楽復興ではさまざまの楽器に対してオリジナル楽器の研究が進み、これをコピーすることで往年の音を復元しようとした。これらコピー楽器はオリジナル楽器に基づいて設計されたことを含意してヒストリカル楽器などと呼ばれる。今日では、さまざまの個人制作家が幅広いモデルに基づいたヒストリカルなリュートを製作しており、制作家に依頼することで誰にでも入手可能である。

なお、オリジナル楽器のほとんどは経年劣化で演奏不可能になってしまっているが、一部には演奏可能なものもあり、非常に貴重である。また、博物館に残されている楽器には、象牙や鼈甲をはめ込んで装飾したり、時にはボディー自体を象牙でつくったような過剰に贅沢なものがしばしば見受けられる。これらは装飾的価値のために保存されたと思われるが、それが今日のヒストリカル楽器の製作に役立っている。

リュートのレパートリー [編集]
現代に作曲された曲もわずかにあるが、レパートリーの大半は歴史的な写本や印刷物からのものである。多くの作品が古い楽譜の複製の形でリュート奏者の間に流通し、演奏されているが、歴史的な資料は膨大であり今日広く演奏されているのはほんの一部に過ぎない。伝統的なリュート音楽はほとんどがリュート用のタブラチュアで書かれている。

中世から初期ルネサンス [編集]
最も初期にはリュートは主にトルバドゥール(吟遊詩人)などが歌の伴奏として用いていたと思われている。前期ルネサンス時代には世俗の歌や宗教曲のメロディーを折り込んだ曲が即興的に演奏されていたと考えられているが、大部分は楽譜として残されていないため不明な点も多い。

ルネサンス期 [編集]
引き続き歌の伴奏として用いられる一方、リュートのみのソロやデュオが発達した。1507年には、フランチェスコ・スピナチーノの「リュートのためのタブラチュア」(Intabolatura de lauto) がヴェネツィアの独占出版業者であるオッタヴィアーノ・ペトルッチによって出版されたが、これが活版印刷で出版された最初のリュート用タブラチュア曲集であるといわれる。この中には、一部のスピナチーノのオリジナルとともにヨハネス・オケゲムやアレクサンダー・アグリコラ、ハインリヒ・イザーク、ジョスカン・デ・プレといった作曲家の有名なモテットやシャンソンなどのポリフォニー作品の編曲が多く含まれている。リュートのための独奏作品は、これら対位法的な作品の模倣から始まった。このような対位法的作品としてはフランチェスコ・ダ・ミラノのものが有名である。

スピナチーノの曲集の出版の翌年1508年にはホアン・アンブロジオ・ダルサのリュートタブラチュア集が、同じペトルッチの手で出版された。こちらには、パバーナやサルタレッロといった舞曲が多く含まれている。これら舞曲もルネサンス期のリュートの重要なレパートリーを形成した。これらペトルッチの手になるタブラチュア集によって、15世紀末までにはリュート奏者が高い音楽性とそれ以降と比べても遜色ない卓越した技術を持っていたことを知ることができる。

イギリスのリュート奏者ジョン・ダウランドは、リュート伴奏付きの独唱曲(リュートソング)とともに、リュートの特質を生かした多くの独奏曲を残したが、その多くはパヴァン、ガイヤルド、アルメインといった舞曲に基づいている。

初期バロック [編集]
ルネサンス末期に登場したモノディは、伴奏楽器、通奏低音楽器としてのキタローネのレパートリーを形成している。このような作品は多数作られたが、ジュリオ・カッチーニの「新音楽」(Le Nuove Musiche) や、クラウディオ・モンテヴェルディの「音楽の諧謔」(Scherzi musicali) などが特に有名である。モノディは後にオペラのレチタティーボやアリアに発展していき、テオルボやアーチリュートはヨーロッパ中のイタリア風バロックオペラのなかでこれら歌曲の伴奏楽器として用いられた。テオルボまたはアーチリュートの伴奏を伴ったモノディ様式は、リュートソングの伝統のあるイギリスで特に長く愛好された。

モノディとともに現れた第二作法はリュートの独奏曲にも影響を及ぼした。イタリアで活躍したリュート奏者ジョヴァンニ・ジローラモ・カプスペルガーやアレッサンドロ・ピッチニーニはキタローネやアーチリュートなど拡張低音弦を持ったリュートのための独奏曲を作曲した。彼らの作品の中でもトッカータはこの時代の新しい形式であり、オルガンやチェンバロの音楽の影響も色濃い。

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2009年04月10日 17:11に投稿されたエントリーのページです。

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