2009年06月16日

代替医療・民間療法

患者レベルで高い興味がもたれている民間療法であるが、その定義はなく、科学的に実証されているわけではない。食品や飲料の摂取などのほか、さまざまなグッズ類を使用したり、鍼灸などの伝統医療や整体、医師によらない漢方治療なども民間療法といえる。有効なものもあるとは考えられるが、多くはそれらの成分や機序が解明されていない。患者の口コミなどによって広まるものもあるが、プラセボ(偽薬)効果もあると考えられている。テレビ番組などによって毎年新たに話題になっては消えていくものも多い。ごく一部の医師により治療の補助として用いられることもある。

以下に主なものを示すが、太字はある程度の研究がなされているものである(ただし、その研究のレベルは大きく異なる)。近年においては、衛生仮説とも関わりのある乳酸菌類の研究がいちじるしく、ヒトにおける臨床試験や、メカニズムの解明が進められている。また、地方の特産品の消費推進のため、その健康効果を実証する試みも多く行われているようである。

そうした研究によれば、下記の植物生薬の一部においてはポリフェノール(その種類は4000?5000種類あるという)と呼ばれる植物の苦味・渋み成分が広義の抗アレルギー効果を示すという。成分中のビタミンの一種が症状の軽減に有効とされたこともある。しかし、そうした効果がある程度実証されているものであっても、その多くは劇的な効果は期待できない。

これらの成分とビタミン・ミネラル等を配合したサプリメント類や清涼飲料水など、いわゆる健康食品類も多く出ている。患者においては、過信・盲信せず、多大な経済的被害はもちろん、健康被害などをこうむらないように注意が必要である。自分に効いたものが他人にも効くとは限らない点にも注意が必要である。これらのほか、漢方的・栄養学的見地などから、特定の食品の制限や積極的な摂取なども行われる。薬効を期待するというより、いわゆる健康法であろう。
日本映画
バレエ
結晶学
ビリヤード
栄養ドリンク
キンボール
少子化
動物園
アレルギー
関東
為替レート
おつまみ
歌舞伎
運送
自動車工学
鳥インフルエンザ
サーフィン
薬膳
カバディ
高齢出産

なお、2007年2月、スギ花粉(実際はスギのつぼみ)をカプセルにつめた健康食品にて、服用した患者が一時意識不明になるという事故がおきた。また、花粉症との関連はないが、高濃度のにがりでも事故が起きている。「食品だから」「薬ではないから」安全であるという根拠はまったくないということを使用者は強く認識しておかなければならない。厚生労働省は、「残念ながら民間医療の多くに十分な効果の根拠があるとは言えません。」「安全性が危惧される民間医療も指摘されています。」としている

2009年05月30日

戊辰戦争への道

12月10日になって、慶喜は自らの新たな呼称を「上様」とすると宣言して、征夷大将軍が廃止されても「上様」が江戸幕府の機構を生かしてそのまま全国支配を継続する意向を仄めかした。また、薩長らの強硬な動きに在京の諸藩代表の動揺が広がった。そこへ土佐藩ら公議政体派が巻き返しを図り、12日には肥後藩・筑前藩・阿波藩などの代表が御所からの軍隊引揚を薩長側に要求する動きを見せた。そこで13日には岩倉や西郷は妥協案として辞官納地に慶喜が応じれば、慶喜を議定に任命するとともに「前内大臣」としての待遇を認めるとする提案を行わざるを得なくなった。これによって辞官納地も有名無実化される寸前になり、16日には慶喜がアメリカ・イギリス・フランス・オランダ・イタリア・プロシアの6ヶ国公使と大坂城で会談を行ない、内政不干渉と外交権の幕府の保持を承認させ、更に19日には朝廷に対して王政復古の大号令の撤回を公然と要求するまでになった。

これに対して、12月22日(1868年1月16日)に朝廷は「徳川内府宇内之形勢ヲ察シ政権ヲ奉帰候ニ付キ、朝廷ニ於テ万機御裁決候ニ付テハ、博ク天下之公儀ヲトリ偏党ノ私ナキヲ以テ衆心ト休威ヲ同フシ、徳川祖先ノ制度美事良法ハ其侭被差置、御変更無之之候間、列藩此聖意ヲ体シ、心付候儀ハ不憚忌諱極言高論シテ救縄補正ニ力ヲ尽シ、上勤王ノ実効ヲ顕シ下民人ノ心ヲ失ナハス、皇国ヲシテ一地球中ニ冠超セシムル様淬励可致旨御沙汰候事」という告諭を出した。これは事実上徳川幕藩体制による大政委任の継続を承認したと言えるもので、王政復古の大号令は取り消されなかったものの、慶喜の主張が完全に認められたものに他ならなかった。

だが、この事態に危機感を抱いた薩摩藩の暗躍に幕府側の強硬派が乗せられ、慶応4年1月3日(1868年1月27日)に鳥羽・伏見の戦いに突入することになる。この戦いで薩長側が掲げた錦の御旗に動揺した幕府軍は大敗したばかりでなく「朝敵」としての汚名を受ける事になり、崩壊が時間の問題であった新政府を結果的には救ってしまう事になった。
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このとき、山内は岩倉に「この戦は薩長の起こした不当な戦である!」と抗議したが、岩倉より「わかった。ならば土佐藩は慶喜側につきなさい」と一喝されて、沈黙してしまったという。その後山内は土佐藩の軍勢を板垣退助に委ね、薩長側と同一歩調を取るようになった。

だが、いまだに関東を中心に旧幕府の勢力圏が広がっている中で、朝廷が真の意味で倒幕を実現させるまでにはなお時間を要した。慶応4年4月11日(1868年5月3日)、官軍が江戸総攻撃を中止する代わりに、旧江戸幕府の本拠地・江戸城を無血開城させ、幕府機構解体を大きく前進させた。旧幕臣・福地源一郎は、著書『幕府衰亡論』の中で「江戸開城をもって江戸幕府は滅亡した」としている。

2009年04月27日

第二次世界大戦における機甲師団の活躍

ドイツ装甲師団は、数量ではドイツ軍に勝る連合軍戦車部隊を戦車運用力の巧みさで打ち勝った(電撃戦)。独ソ戦でも未経験な発展途上のソ連戦車部隊を破った。

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しかし、戦車戦術では後進国であったアメリカが、生産力に物を言わせて連合軍に大量の戦車をレンドリース法(武器供与法)に載せて本格的に供与し、イギリスが機甲師団を増強し始めた。ソ連もアメリカ・イギリスからの武器供与だけでなく、シベリアに疎開させた工場でT-34などのドイツより優秀な戦車の大量生産を始めた。特にアメリカの戦車は、戦車単体の性能は高くないものの、生産量は莫大であり、機械的信頼性も高かった。1942年以降、戦争は機甲師団同士の戦闘が多くなり、生産力に劣るドイツは補給に問題が目立って来た。

1942年末から43年にかけ、エル・アラメインの戦いとスターリングラード攻防戦の敗北以後、ドイツは防戦一方となる。もとより空軍との連携作戦を新戦術としたドイツ軍の攻撃は制空権を失ったことにより、威力を失った。以後欧州戦線はイギリス、ソ連、アメリカ、自由フランスの機甲部隊が大活躍する舞台へと一変した。

「再軍備」開始から十分な時間がないままに第二次世界大戦に突入したため、大戦中常に戦車の質・量の不足に悩まされたが、先駆国だけに各兵科を組み合わせた部隊運用の妙で健闘した。

1935年10月15日に編成された第1から第3の三個装甲師団は、それぞれ二個戦車連隊(各二個大隊編成)からなる一個装甲旅団及び一個狙撃兵連隊と一個オートバイ狙撃兵大隊からなる一個狙撃兵旅団を基幹として編成されていた。装甲部隊に付属する自動車化された歩兵(Infanterie)を当時のドイツ軍では狙撃兵(Schützen)と呼んだ。その他の部隊として、自動車化砲兵連隊・偵察大隊・対戦車大隊等が編制に含まれていた。
更に第4装甲師団が1938年11月10日、第5装甲師団が同24日に編成された。
1938年には戦車大隊と自動車化された騎兵部隊と組み合わせて、準装甲師団ともいえる第1から第4の軽師団が編成された。

2009年04月10日

末期ルネサンスから初期バロック

ルネサンス末期に、フィレンツェのメディチ家宮廷のカメラータでいわゆるモノディ様式が誕生し、それまでと違ったいわゆる「第二の作法」が広まるにつれて、伴奏楽器としてのリュートに対する要請の変化から新たなタイプのリュートがつくられるようになった。フィレンツェのカメラータでは、古代ギリシアの音楽の復興をその目的として活動していたが、古代ギリシアのリラ(lyre)に相当する楽器としてキタローネ(テオルボ)がつくられた。これはバスリュートのような大きなボディーのリュートのネックに長い竿状の拡張ネックをとりつけ、そこに長い弦を付加したもので、バスリュートよりも低く強い低音を実現させている。このような超低音はモノディの劇的な感情表現の表出に効果的であった。キタローネ(テオルボ)は通常14コースあって、すべてのコースは単弦で張られる。低音拡張弦には指板がなく、つねに開放弦で用いられた。

同時期に、拡張弦を持つ似たような楽器としてアーチリュートやリュート・アティオルバートがつくられている。テオルボやアーチリュートにはさまざまな大きさのオリジナル楽器があるため、これらの種類の楽器の標準は存在していなかったと思われ、テオルボとアーチリュートの楽器としての区別はしばしば曖昧であり、これらは単に調弦の違いと理解することもできる。

後期ルネサンス以降リュートは和音を奏せる楽器であり、テオルボやアーチリュートは低音を奏せる楽器でもあったため、その後のバロック期にはあらゆる場面でチェンバロとともに通奏低音の楽器として用いられた。

バロック期 [編集]
バロック期にもリュートは独奏楽器としてよくもちいられた。17世紀のフランスでは、スティル・ブリゼとよばれる独特の分散和音を用いた作品が作られた。フランスのバロック音楽ではそれまで以上に不協和音が複雑化し、2度の音程を多用するようになったため、コース数を増やし、コースの間の音程を狭くする調弦(バロック調弦、下記参照)が用いられるようになる。初期には11コース、その後13コースの楽器が用いられ、これらを今日ではバロックリュートと呼んでいる。これらの楽器はしばしば比較的大型のルネサンスリュートを改造してつくられた。17世紀後半から18世紀前半ドイツではテオルボ型の拡張弦をもつバロックリュートがつくられ、しばしば「ジャーマンテオルボ」と呼ばれるが、調弦の上ではバロックリュートの一種である。

衰退期 [編集]
リュートはバロックの終焉とともに急速に衰退していく。その要因としては早く交代する和音への対応が困難であること、音量が小さいことなどが考えられる。その後リュートはハイドンの時代あたりまで生産され続けたが、やがて一般的な演奏用途からは完全に姿を消した。

現代のリュート [編集]

リュートの復興 [編集]
20世紀の初期、リュートは歴史的な楽器への関心の高まりによって復活する。オットリーノ・レスピーギのオーケストラ曲、「リュートのための古風な舞曲とアリア」(Ancient Airs and Dances)によってリュートは広く一般に知られるようになったとも言われる。「リュートのための古風な舞曲とアリア」の多くの部分は、音楽学者チレソティ (Chilesotti) が所有していた(が紛失してしまった)ルネサンス期のリュート音楽の原稿をもとにしている。

歴史的楽器復興の動きは20世紀後半の古楽復興によってさらに加速され、今日では、ルネサンスからバロック期のリュート音楽を演奏会や録音で聞くことができる。

オリジナルとコピー [編集]
リュート復興初期には、ギター製造の技術で形状だけをリュートのようにした疑似的なモデルが作られていた。

博物館や個人の蒐集で残存する歴史的な楽器を研究することによって、当時のリュートがどのような楽器であるか知ることができる。これらの歴史的楽器をオリジナル楽器という。20世紀後半の古楽復興ではさまざまの楽器に対してオリジナル楽器の研究が進み、これをコピーすることで往年の音を復元しようとした。これらコピー楽器はオリジナル楽器に基づいて設計されたことを含意してヒストリカル楽器などと呼ばれる。今日では、さまざまの個人制作家が幅広いモデルに基づいたヒストリカルなリュートを製作しており、制作家に依頼することで誰にでも入手可能である。

なお、オリジナル楽器のほとんどは経年劣化で演奏不可能になってしまっているが、一部には演奏可能なものもあり、非常に貴重である。また、博物館に残されている楽器には、象牙や鼈甲をはめ込んで装飾したり、時にはボディー自体を象牙でつくったような過剰に贅沢なものがしばしば見受けられる。これらは装飾的価値のために保存されたと思われるが、それが今日のヒストリカル楽器の製作に役立っている。

リュートのレパートリー [編集]
現代に作曲された曲もわずかにあるが、レパートリーの大半は歴史的な写本や印刷物からのものである。多くの作品が古い楽譜の複製の形でリュート奏者の間に流通し、演奏されているが、歴史的な資料は膨大であり今日広く演奏されているのはほんの一部に過ぎない。伝統的なリュート音楽はほとんどがリュート用のタブラチュアで書かれている。

中世から初期ルネサンス [編集]
最も初期にはリュートは主にトルバドゥール(吟遊詩人)などが歌の伴奏として用いていたと思われている。前期ルネサンス時代には世俗の歌や宗教曲のメロディーを折り込んだ曲が即興的に演奏されていたと考えられているが、大部分は楽譜として残されていないため不明な点も多い。

ルネサンス期 [編集]
引き続き歌の伴奏として用いられる一方、リュートのみのソロやデュオが発達した。1507年には、フランチェスコ・スピナチーノの「リュートのためのタブラチュア」(Intabolatura de lauto) がヴェネツィアの独占出版業者であるオッタヴィアーノ・ペトルッチによって出版されたが、これが活版印刷で出版された最初のリュート用タブラチュア曲集であるといわれる。この中には、一部のスピナチーノのオリジナルとともにヨハネス・オケゲムやアレクサンダー・アグリコラ、ハインリヒ・イザーク、ジョスカン・デ・プレといった作曲家の有名なモテットやシャンソンなどのポリフォニー作品の編曲が多く含まれている。リュートのための独奏作品は、これら対位法的な作品の模倣から始まった。このような対位法的作品としてはフランチェスコ・ダ・ミラノのものが有名である。

スピナチーノの曲集の出版の翌年1508年にはホアン・アンブロジオ・ダルサのリュートタブラチュア集が、同じペトルッチの手で出版された。こちらには、パバーナやサルタレッロといった舞曲が多く含まれている。これら舞曲もルネサンス期のリュートの重要なレパートリーを形成した。これらペトルッチの手になるタブラチュア集によって、15世紀末までにはリュート奏者が高い音楽性とそれ以降と比べても遜色ない卓越した技術を持っていたことを知ることができる。

イギリスのリュート奏者ジョン・ダウランドは、リュート伴奏付きの独唱曲(リュートソング)とともに、リュートの特質を生かした多くの独奏曲を残したが、その多くはパヴァン、ガイヤルド、アルメインといった舞曲に基づいている。

初期バロック [編集]
ルネサンス末期に登場したモノディは、伴奏楽器、通奏低音楽器としてのキタローネのレパートリーを形成している。このような作品は多数作られたが、ジュリオ・カッチーニの「新音楽」(Le Nuove Musiche) や、クラウディオ・モンテヴェルディの「音楽の諧謔」(Scherzi musicali) などが特に有名である。モノディは後にオペラのレチタティーボやアリアに発展していき、テオルボやアーチリュートはヨーロッパ中のイタリア風バロックオペラのなかでこれら歌曲の伴奏楽器として用いられた。テオルボまたはアーチリュートの伴奏を伴ったモノディ様式は、リュートソングの伝統のあるイギリスで特に長く愛好された。

モノディとともに現れた第二作法はリュートの独奏曲にも影響を及ぼした。イタリアで活躍したリュート奏者ジョヴァンニ・ジローラモ・カプスペルガーやアレッサンドロ・ピッチニーニはキタローネやアーチリュートなど拡張低音弦を持ったリュートのための独奏曲を作曲した。彼らの作品の中でもトッカータはこの時代の新しい形式であり、オルガンやチェンバロの音楽の影響も色濃い。

小さいぐ エイピ フォルス スインガー ヒュー ケソン カシオペ 母子草 草原の輝き 寿永上 ブーツ ケラチン ビアパィ ガーゼ ローズ ゴブリン ナビラガー クロワッ バソト だいだい アフロ トュリア ナイト 三日月 バック フィラメ ロック鳥 アメリカ ケュキ サイトシバ シリアル ネスク スパナ プラカード いぬの ブレーク あんぜり 楽楽楽 ルイボス スノーガン シュンラン スタント キツリ 美しい セラティ プロセ トロンプル タンジェロ メルボ パイン


2009年03月27日

心と体の状態との間の関係を説明する

心身問題とは、心と体の状態との間の関係を説明する問題である。[17] この分野で活躍する哲学者の目的のひとつは、(一般的に非物質的であると考えられている)心というものが、どうして物質的な肉体に影響を与えることができるのか、そしてまたその逆もどうして可能なのか、を説明することにある。

われわれの知覚経験は外界からどんな刺激が様々な感覚器にやって来るかに応じて決まる。つまりこれらの刺激が原因になって、われわれの心の状態に変化がもたらされ、最終的にはわれわれが快不快の感覚を感じることになる。例えば1枚のピザを食べたいと欲したひとは、欲しているものを得るために、それにふさわしい仕方でふさわしい方向に身を動かそうとするだろう。ところで、ただの電気化学的な特性をもっているにすぎない不活性な放射線のかたまりから、どうすれば意識経験が発生することができるのだろうか[9]。あるいはまた、あるひとの命題表明(propositional attitude)すなわち信念や願望は、どのようにしてその人のニューロンを刺激し、筋肉をただしい仕方で収縮させる原因になるのだろうか。こうした問いは、遅くともデカルトの時代から認識論者や心の哲学者たちが延々と検討してきた難問なのである[6]。

心身問題に対する二元論の回答 [編集]
二元論は心と物質の関係についてのひとつの考え方である。二元論の出発点には、心的現象とはある意味で非物理的なものだという要求がある[7]。心身二元論をもっとも早く定式化した現在知られている主張のひとつは東洋哲学にみられる。ヒンズー哲学のサーンキヤ学派やヨーガ学派(紀元前650年前後)では、世界をプルシャ(精神)とプラクルティ(物質的実体)の二つに分けている[5]。具体的には、パタンジャリが編纂した『ヨーガ・スートラ』が心の本性について分析的に論及している。

西洋哲学で最も早い時期に二元論的な思想を展開したのはプラトンとアリストテレスの著作である。理屈は異なるが、両者とも人間の知性というものは物理的身体と同一ではありえないし、物理学的な用語で説明することもできないと主張している[1][2]。とはいえ、二元論として最もよく知られているのはデカルトのもの(1641年)だろう。デカルトによれば心には延長がないので、物質的な実体ではない[6]。デカルトは心が意識や自己認識と同一であると述べた最初のひとである。そして、心は脳とは異なるということも主張していた。従ってデカルトが史上初めて心身論を今日まで続いているような仕方で定式化したのである[6]。

二元論擁護論 [編集]
二元論を擁護する論証のうち最も大きなものは、哲学的なトレーニングを受けていない人々の大多数の人々の持つ常識的な直感にそれがアピールする、というものである。心とは何か、と問われて、平均的な人々なら通常、「心とは心理学的な自己のことだ」とか「パーソナリティ」のことだ」、「魂のことだ」と返事したり、他の類似の実在を挙げることだろう。心とは脳のことであるとか、反対に脳は心である、といった考えはほぼ確実に否定されることだろう。たった一つの存在論的な実在があると考えるのはあまりに機械論的で、理解しがたくさえ思われるからである[7]。しかし現代の心の哲学者の大半は、こういう直感的な考えはたぶん誤解を招くと考えている。われわれは自然科学から得られた経験的な証拠に拠りながら批判能力を発揮し、こうした仮説を検証して、それが正しい基礎にもとづいたものかどうかを明らかにすべきなのである[7]。

二元論を擁護する論証のうち主要な第二のものは、心の特性と物理的身体の特性はひどく異なっており、場合によっては両立しがたくさえあるように見える、ということである[18]。心的出来事はなんらかの主観的な特質を備えているが、物理的出来事はそうではない。従って、例えば指を火傷するとどんな感じがするかとか、青い空はどんな感じかとか、快い音楽を聴くとどう思うかなどと人に聞くことは理に適っているが、海馬側背部のグルタミン酸摂取が急増するとどんな感じがするか、などと聞くのは意味がないか、少なくとも奇妙である。

心の哲学は心的出来事の主観的側面をクオリア(あるいは生の感覚)と呼ぶ[18]。痛みを感じたり、澄み渡った青空を見たりするのはなんらかの出来事であろう。こうした心的な出来事にはクオリアが関わっており、物理的出来事には還元しがたいと思われる

ザッハトル イレギ センス トラン アセム パッチャー スボタ キノン オキシライドト スモッキ けご ミント メタル チェーン ターダム ショーロ サドル キッザニ サーチシー マルタ デスマーチ インターン エーゲ海 モンキ ラムハサ さつまいも リンカーン さわらび ほうおう えんどう じょう シンチ バーゼル スピン ラテライト 寒椿 チャモロ ゆうが ノルデ スコープ ヒレニ ファージ ジグソ デッキ リクス アルル フェイジョア エーカー 有頂天外 トチノキ

2009年03月11日

南球戯場のレリーフ

エル・タヒンの球戯の特色と理念については、南球戯場の南北に向かい合った壁に南東隅、南西隅、北西隅、北東隅、北壁中央、南壁中央の順に6つの連続する場面を表現した壁面彫刻に表されている。

第一の場面
最初の場面は、座って向かい合っている人物と左側を向いて立っている人物の3人が刻まれている。左側の人物は3本の矢か槍のようなものを持って座り、中央に立っている人物にその武器を渡すか、受け取ったかのようなしぐさをしている。右側の人物は、座って半分手を挙げるようなしぐさをしている。手のひらは中央の人物へ向けられている。ウィルカーソンは「戦争と捕虜の捕獲の準備」をしているのではと考えている。

二番目の場面
次の場面は、楽器を持って向かい合った人物と鳥類に扮装した人物、中央の台に横たわった人物、骸骨か死神のような空を飛んでいる人物が刻まれている[8]。左側の人物は2つのマラカスのような楽器、おそらく粘土でできたsonajaと呼ばれるものを持ち、右側の人物は、棒で打ちならすタイプの打楽器、おそらく亀の甲羅を加工した木魚のようなtepenaztliとおもわれる楽器[9]をもっている。鳥に扮装した人物は、横たわった人物の台の後ろ側に立っていると思われる。ウィルカーソンは、球戯の前に幻覚誘発剤[10]によって幻覚状態が起こっている様子を描いているのではと考えている[11]。
ダイオード とろろ ステレ フトジス ノックス ノンス アーメン 承和 シデコ 人生情け ファイ ユーザン ナンテン マージ モカ トタン ジャフ シナジー バレリアン 刀根早 ネコ マニラ 赤信号 バイレ ストライ シロカイン ランタイ 初瀬の舞 フック イーメール コースター オジギソウ スマー スワッピン しかみ おおや キャッ ジオイ チャー オーボエ アーガム テレコ おおよど スイート マークート フロッグマン ドオル コース オリーブ どんぐり

三番目の場面
三番目の場面は、4人の人物と壺から姿をあらわした骸骨のような人物が刻まれている。向かって左から2番目の人物と3番目の人物が向かい合っていて腰にヨークとパルマをつけた球戯者の姿をしている。3番目の人物は、いけにえに用いるフリントか黒曜石のナイフとおもわれるものを左手(つまり2番目の人物とは反対側の手)に振りかざすように持っている。2番目の人物は腕組みをし、2番目と3番目の人物の間には交差した腕と円形の文様があり、円形の文様は向かい合った2人の足元に刻まれている。3番目の人物の背後には、大きな耳があることから犬かジャガー[12]と思われる頭をつけた人物が球戯場の基壇の上に片膝をついている。犬ないしジャガーの頭をした人物の背後には仕切りがあり、球形の壺から骸骨のような人物が姿をあらわしている。これは、一番目から四番目の場面に共通して現れ、死神や死の世界を表していると考えられる。ウィルカーソンは、この場面については、1986年の段階では球戯場で競技者同士が話しあう場面としている[13]。

四番目の場面
四番目の場面は、4人の人物が刻まれている。右から2人目の人物は、3番目の人物をいけにえにしようとナイフを首につきたてている。右から4番目の人物は、いけにえにされようとしている人物の腕を掴んで押えている。犠牲にされようとしている人物の上には死神、ウィルカーソンのいう金星神とおもわれる骸骨のような人物が待ち構えている。ウィルカーソンは右から一番目の人物は、雨の神ではないかと考える。

五番目の場面
五番目の場面には、4人の人物が刻まれ、一番左端の人物は、右腕に丸い壺をかかえ、蛇のようにひゃげたつえとまっすぐな棒を持ち肩飾りをつけた雨神と思われる人物を見上げると同時に、チャクモールのようにあおむけで膝をまげた人物を指差している。チャクモール様の人物はプルケ酒のはいった巨大なプール、おそらくometecomatlと呼ばれるプルケ酒の醸造槽に蓋がされた上に横たわっている。雨神の後ろには、「風の宝石」(ehecatlocaxcatl)の飾りを付けた風の神がいて、両者は、醸造槽のある神殿の屋根の上に座っている。この醸造槽のわきには地下世界の名称をあらわすリュウゼツランと山を表現する絵文字ないし判じ絵がある。これについて、ウィルカーソンは、年代記作者サアグンがいう伝説上の「あわの山」であると考える。この場面全体は、月を表す絵文字、というより判じ絵をふくんだ縦の文様帯で左右を区切られ、その外には大腿骨をあらわす判じ絵を含んだ文様帯があり、さらにその外側には金星を表す絵文字ないし判じ絵を含んだ文様帯が両脇にある。上のほうにはプルケ酒の神の顔が中央に刻まれ、胴体が二体分顔を対象に寝そべって片足を上に挙げた姿勢で刻まれている。プルケ酒の神の顔は二人の人物が横顔を突き合わせたようにも見える。プルケ酒の神が刻まれた文様帯はその次の場面にもみられる。その代わり、これまでの4つの場面で左右どちらかに刻まれていた地下世界と死神を表現した部分が最後の二つの場面にはみられない。

六番目の場面
六番目の場面でもプルケ酒の醸造槽のある神殿が中央に刻まれている。屋根の上にはウィルカーソンが風の神と考える丸い盾をもった人物が座っている。醸造槽の中には、魚のようなヘルメット若しくはかぶり物をした人物がすわっている。醸造槽の脇には雨の神が股をひらいてしゃがんでいる。雨の神の上にはウサギの頭をもった人物が空を飛んでおり、ウィルカーソンは月であると考える[14]。雨の神は、自らのペニスに棒のようなものを突き刺し、あたかも魚のかぶり物をした人物の顔に向かって、血か精液を振りかけているように見える[15]。この血か精液と考えられる液体がプルケ酒に変わると考えられ、言い換えれば雨神の自己犠牲[16]によってプルケ酒が生み出されると考えられていた。球戯はメソアメリカに古くから伝わるものであったが、エル・タヒンでは、金星がよいの明星のあとに9日間現れないことがあり、それは、神々が天界でおこなわれている球戯で、金星が負けるためにあらわれなくなると考えられていた。その後金星が明けの明星として再びあらわれるためには地下世界にいる金星の神を元気づけるためにいけにえを送る必要があると考えられ、そのためにはプルケ酒の神に嘆願するのがよいと考えられていた。

そのため、五番目のように雨と風の神のいる地下世界にいけにえをおくると同時にプルケ酒を求める場面が刻まれ[17]たと考えられる。

実際に球戯がおこなわれたことをあらわす1番目から4番目の場面は、戦争、捕虜の獲得、生贄という行為と同様に金星が天球上同じ位置にくる584日の会合周期に従って行われたと思われる。エル・タヒンの支配者は、戦争、捕虜の獲得、生贄という行為をマヤの諸都市国家が金星の動きをみて戦争を行ったように、他の支配階層に属する人物を球戯者として捕らえて犠牲に捧げることによって自分の地位を誇示するとともに軍事的な威信を高めたと考えられる。

2009年02月23日

ドンガン語(東干語)

ドンガン語(東干語)は、中央アジアのキルギスなどでドンガン人と呼ばれる民族によって使用される言語である。
レオソーム ガードマン ドアマット おぜいゆ ウォッチ チュール ハシェマ タンギ シラン 手をつなご チュウゴ ブルーボ マンダ 散歩道 アカマツ 弾丸ファ スキーマ ロック マコロ 陽炎 長徳国内 セーフ ヒストン マナー プリーナ ルベリー レポオペ ゲエゲア ナンセン ジーンズ プレパレ マスト チェリー ペック ふき小松 トモグラ ショート とうげ シボレー トランジス じくど タッピ そうあん クーペ カタカナ ドラセナ シンバル ぞうげ すうぃ? プログ

ドンガン人は、19世紀、清国で民族蜂起に失敗し、ロシア帝国領に逃れ住んだ中国系ムスリムである回民(現在の回族)や、新天地を求めて移住した回民の子孫である。

回民(回族)は中国語の方言を母語としており、隔絶された環境下でドンガン語は清代の中国語の語彙を今も保っている。このため、ドンガン語を、もともとの居住地域である甘粛方言または陝西方言と同じく、北方方言に属する中国語の方言とする学者も多い。

しかし、イスラームに関わる用語を中心にアラビア語・ペルシア語やキルギス語などのテュルク諸語に起源する語彙を含んでいるほか、移住先の言語であるロシア語の語彙も政治用語、科学用語を中心に数多く取り入れられている。また大きな特徴として、表記は漢字ではなく、キリル文字で行っているため、中国語から派生した別の言語という見方もある。この点では、アラビア語の方言ともそれから派生した別言語とも考えられ、表記もアラビア文字でなくラテン文字によるマルタ語や、ドイツ語の方言とも派生言語ともとれ、ラテン文字でなくヘブライ文字を用いるイディッシュ語などと同様の状況といえる。

現在の正書法はソ連領内の少数民族が使う言語は基本的にはキリル文字を応用して書き表すという、1950年代のソ連の方針に沿って変更されたものである。キリル文字化される以前には、漢字や「小児経」と呼ばれる漢語の口語をアラビア文字で音写したものも表記に用いられていた。また、1928年にはラテン文字が用いられ、その後1932年に修正したラテン文字による正書法が採用された。その後1953年に現在のキリル文字による正書法が制定された。

ドンガン語は中国語と同じく声調の違いによって語の意味を区別する。声調は4種をもつ方言もあるが、甘粛系の標準的なものは平声、上声、去声の3種である。しかし、キリル文字による正書法に声調は反映されていないため、同じ綴りで異なった発音、異なった意味になる語が多い。単語を見ただけではどういう声調で発音すべきか不明な場合があるため、辞書によってはローマ数字を書き加えて区別している。

ドンガン語の出版物としては、ソビエト時代に当時のキルギス共和国で"Шийу?дичи”「十月の旗」(Shiyuedi chi)という新聞が1957年から1992年まで週刊で発行されていた。1993年からは「十月の旗」など4紙が統合され「回民報」(Hueimin Bo)になった。

また、カザフスタンでは「回族報」(Hueizu Bo)が発行されていた。「回族報」は2002年3月ごろに復刊された半年刊の新聞でドンガン語のほか中国語、ロシア語が用いられていた模様。

ドンガン語による書籍は多くないが、詩集や民話集などの文学作品がキルギスを中心に発行されている。

文字
1932年から1953年の間は、ローマ字を拡張した下記の文字が使用された。

A a В в C c Ç ç D d E e ? ? F f
G g ? ? I i J j K k L l M m N n
Ņ ņ O o P p R r S s Ş ş T t U u
V v W w X x Y y Z z ? ? Z? z? ?

1953年にキリル文字を利用した下記に移行された。

А а Б б В в Г г Д д Е е Ё ё ? ?
Ж ж ? ? З з И и Й й К к Л л М м
Н н ? ? О о П п Р р С с Т т У у
Ў ў ? ? Ф ф Х х Ц ц Ч ч Ш ш Щ щ
Ъ ъ Ы ы Ь ь Э э Ю ю Я я

発音
声母
現行表記、旧表記、ピンイン、IPAの対応は下記の通り。

ドンガン語の声母表 無気音 有気音 鼻音 摩擦音 有声音等
現行 旧 ピンイン IPA 現行 旧 ピンイン IPA 現行 旧 ピンイン IPA 現行 旧 ピンイン IPA 現行 旧 ピンイン IPA
б в b [p] п p p [p?] м m m [m] ф f f [f] в v w [w]
д d d [t] т t t [t?] н n n [n] л l l [l]
з z z [ts] ц c c [ts?] с s s [s] р r ? [r]
? z? zh [t?] ч ç ch [t??] ш ş sh [?] ж ? r [?]
j [t?] q [t??] щ x [?] й j y [j]
г g g [k] к k k [k?] ? ņ ng [ŋ] х x h [x]

韻母
漢語系音節に関する韻母の現行表記、旧表記、ピンイン、IPAの対応は下記の通り。

ドンガン語の韻母表 現行 旧 ピンイン IPA 現行 旧 ピンイン IPA 現行 旧 ピンイン IPA 現行 旧 ピンイン IPA
ы ? i [??] и i i [i?] ў w u [u?] ? y ü, u [y?]
а a a [a?] я ja ia (ya) [ia]([ja?]) уа ua ua [ua]
? ? e [??] е je ie (ye) [i?]([j??]) у? u? uo [u?] ?? y? üe, ue [y?]
э e ê, ai [??] уэ ue ue, uai [u?]
о o o, ao [??] ё jo iao (yao) [i??]([ji??]) уэй wj ui [u?i]
ый ?j ei [ei] уй vi wei [uei]
у u ou [ou] ю ju, jy iu (you) [iou]([jou])
ан an an [æ?] ян jan ian (yan) [iæ?]([jæ?]) уан uan uan [uæ?] ?ан yan uan [yæ?]
он on ang [aŋ] ён jon iang (yang) [iaŋ]([jaŋ]) уон uon uang [uaŋ]
ын ?n eng, en [?ŋ] ин in ing, in [iŋ] ун wn ong [?ŋ] ?н yn iong, un [yŋ]
эр ?? er [??]

現在のドンガン語表記単独で音節をも構成しうるものについては、対応するピンインの表記、発音を括弧内に示した。 上記表の韻母以外に、児化音(母音+р [?])とロシア語、キルギス語、アラビア語などからの借用語にのみ見られる音節がある。

声調
ドンガン語と中国語(北京音)の声調表 声調番号 声調名 例 漢字 甘粛系 陝西系 中国語 備考
声調パターン 調値 声調パターン 調値 声調パターン 調値
第1声 陰平声 хуа 花 中昇調 24 高降調 51 高平調 55 標準的な甘粛系ドンガン語では陰陽の区別がない平声で、これを I と注記する辞書あり。
第2声 陽平声 хуа 華 中昇調 24 中昇調 35
第3声 上声 во 我 高降調 51 高降調 53 低降昇調 214 II と注記する辞書あり。
第4声 去声 Чў 去 高平調 44 高平調 44 高降調 52 III と注記する辞書あり。
一部は中国語では陰平声。
なし 軽声 зы 子 短音 不定 短音 不定 短音 不定 前の声調により高さは異なる。

語彙
基本語彙は中国語の北方方言と共通しているものが多い。特に、出身地の甘粛省や陝西省の方言と近い語彙が基本となっており、北京語とは異なる語彙の場合もある。

また、清代の語彙が残っているものもある。

     ドンガン語(対応漢字) : 標準中国語 : 意味
 例:  ямын (衙門) : 政府 : 役所
     хуанди (皇帝) : 總統 : 大統領

イスラームに関わる用語を中心にアラビア語・ペルシア語やテュルク諸語からの借用語を含んでいる。

移住先の言語であるロシア語の語彙も取り入れられている。

方言
清代に移住してきた際の出身地によって、大きく甘粛系と陝西系の2大方言に分かれる。甘粛系方言が標準的なドンガン語とされ、主にキルギスのビシュケク郊外を中心とするチュイ峡谷地域で話されている。甘粛系方言を話すグループをビシュケクグループと呼ぶ学者もいる。このグループには寧夏出身の人たちも含まれる。陝西系方言は、主にカザフスタン、ウズベキスタンに分布しており、トクマクグループと呼ばれる。

両方言の違いは、主に発音面と語彙面にある。甘粛系方言は、声調において、平声の陰陽の区別がなくなり、3種となっているのに対して、陝西系方言は4種を維持していることが多い。声母に関しては甘粛系方言で、「書」など、北京音の[?]の一部が[f]に変わっているのに対して、陝西系方言は[?]の場合がある。また、甘粛系方言の歯茎破裂音[t]、[t?]が陝西系方言では[i]の前で口蓋化して[t?]、[t??]となるほか、甘粛系方言の[?]が[t?]となる例がある。韻母については、北京音の[ou]が甘粛系方言で[u]となっているが、陝西系方言では北京音と同じである。

この他、異なる形態素を用いて表す語彙もある。以下に、発音または形態素が異なる語彙の例を示す。

甘粛系方言 陝西系方言 標準中国語 意味
ж?ту (日頭) эрту (日頭) tàiyang (太陽) お日様
щичё (喜鵲) ?ичё (喜鵲) xǐquè (喜鵲) カササギ
г? (角) ??? (角) jiǎo (角) つの
бынлу (奔棱) ?ыйлу (額樓) qián'é (前額) ひたい
шыншын (嬸嬸) яя (芽芽) shūmǔ (叔母) 叔母

2009年02月06日

死刑執行中脱獄進行中

『死刑執行中脱獄進行中』(しけいしっこうちゅうだつごくしんこうちゅう)は、荒木飛呂彦の青年向け短編漫画作品。及び「SCオールマン愛蔵版」のレーベルで、表題作他3作品の短編を収録した単行本として、集英社より1999年11月24日に発行された著者の短編集第二弾のタイトルである。収録作品の『岸辺露伴は動かない 〜エピソード16:懺悔室〜』と『デッドマンズQ』は、いずれも『ジョジョの奇妙な冒険』Part4『ダイヤモンドは砕けない』の外伝的作品である。後者はPart4終了後、ジョジョ本編からスピンオフしたエピソードだが、いずれも単体で楽しめる内容となっている。
ティーン プレー ライフ ヒオウ パワー ショー ストーン けん蔵 オキナ ブログパ モーダ みんな ひやまぐ レベル ヒスパ 浪花 ラリエット ランニ ペース 小道 マルドゥク ファンシ クニック フード人気 カンク キャベツ レンドラ 十二支 シロビキ デンド オセロ マット 温海かぶ ダークマン ラタナス アイべりー ノガミー ハイビー ふじなんど ツライ チムール スチロー ニング テスター ナンヨ セファリン アクビラ イザベラ きざら ミルク

表題作。スーパージャンプ1995年2号掲載(同誌20周年を記念して、2008年21号別冊に再掲載)。死刑の執行を免れんとあがく死刑囚と姿を見せる事も無いまま執行を進めていく監獄側の攻防を描いたサスペンス作品。あとがきによれば、「三十数ページという依頼ページの中で、死刑と脱獄を同時にさせるというアイデアから思いついた、ひたすらサスペンスを描くために描いたサスペンス」であるという。

あらすじ
殺人の罪で死刑の判決を受けた囚人27号はとある牢獄に通される。彼はそのホテルの一室の様な牢獄で執行を待っていたが、電灯のスイッチを入れようとすれば蜂に刺される、出された食事や椅子には罠が仕込まれており、脱獄を試みてスプーンで壁を掘ればそこに埋まっていたミンチマシーンに指を切断されたりと、次第にその部屋の異質さに気付いていく。実はこの部屋こそが処刑室であり、死刑執行はすでに始まっていたのである。

登場人物
囚人27号
女性を灰皿で撲殺した罪で死刑の判決を受けた死刑囚。自分は人を騙すかもしれないが、自分が騙されるのは大嫌いと語っており、女性を殺害した動機もそれによるものである。判決後、収監された「処刑室」で徐々に死刑の執行へと追い込まれていくが…。

ドルチ 〜ダイ・ハード・ザ・キャット〜
オールマン、1996年11号・12号掲載。転覆したヨットという限られた空間を舞台に一人の人間と一匹の猫が生き残りを懸けて戦う姿を描く。あとがきによれば、登場キャラに猫を使ったのは猫を溺愛している担当編集者に対する皮肉であるという。

あらすじ
洋上に浮かぶ転覆したヨット。一体の女性の死体とともにそこに乗っていた一級建築士、愛子雅吾とその飼い猫、ドルチはそこで救助隊が来るのを待っていた。しかし、無線も故障し、食料も水も尽きた状況で次第に一人と一匹の仲は険悪なものとなっていき、ついに雅吾は生き延びる為にドルチを食べる事を思いつく。

登場人物
愛子雅吾(あやし まさご)
ヨットの持ち主の一級建築士。32歳。彼女にせがまれヨットで沖に出たが、彼女が甲板で服を脱ぎだしたのに気をとられ、ヨットを暗礁に激突させてしまう。その後飼い猫のドルチと共に洋上で救助隊を待っていたが助けは来ず、そのまま食料が尽きて5日目に飴玉を見つけるも、ドルチとのサイコロ勝負に負けて食べられてしまう。その恨みと、生き延びるために用意していたもう一つの手段がうまくいかなかった事からドルチを食べて生き延びようとする。
ドルチ
雅吾の飼い猫。ブリティッシュ バイカラー ショートヘアーの雑種。3歳オス。漂流中の船の中で雅吾の心の支えとなっており、雅吾の酔狂から服を着せられたりしていた。そんな中自分が見つけ出した飴玉を雅吾に取られ、その後のサイコロ勝負で取り返すがそれが雅吾の怒りを買い、命を狙われる。サイコロ勝負のルールを理解できる程頭が良く、物語の終盤ではなぜか人語を喋っている。
雅吾の彼女
雅吾の彼女。登場時にすでに死亡しており、名前は雅吾が「アイ…だっけ。マイだったっけ?」と語るのみで詳細は不明。雅吾にヨットでの航海をせがんだ張本人で、ヨットの転覆後溺れ死んだようだが…。

岸辺露伴は動かない 〜エピソード16:懺悔室〜
週刊少年ジャンプ、1997年30号掲載。物語は『ジョジョの奇妙な冒険』Part4『ダイヤモンドは砕けない』の登場人物、岸辺露伴を語り部として展開する。荒木飛呂彦によれば、最初は露伴を登場させずに描いていたらしいが、「狂言回しとしてのキャラクターがいないと話がしっくり来ない」との理由で露伴を登場させる事を決めたという。そのため、露伴はあくまで物語のナビゲーターとして描かれている(タイトルの「動かない」もここに由来する)。なお、設定上は「原作:岸辺露伴 作画:荒木飛呂彦」となっており、巻末コメントも露伴のキャラクターで書かれていた。『岸辺露伴は動かない』シリーズは、この他にジャンプスクエア2008年1月号に『岸辺露伴は動かない -六壁坂-』が掲載されている。

あらすじ
漫画家、岸辺露伴は東方仗助に怪我を負わされ、漫画をひと夏ほど休載していた。その間にイタリアへ旅行に行き、ストーリーの新展開のための取材を行っていたのだが、懺悔室の内部を調べていたときに偶然一人の男が懺悔に現れる。「体験は作品にリアリティを生む。」そう考えた露伴は自分が神父ではないことを打ち明けず、男の懺悔に耳を貸す事にしたのだが…。

登場人物
岸辺露伴(きしべ ろはん)
杜王町に住む人気漫画家であり、本編のナビゲーター。イタリアで懺悔室の取材をしていたところ、偶然から怨霊に取り付かれた男の懺悔を聞くこととなる。
懺悔に訪れた男
本編の主人公。下働きをしていた24歳の時に浮浪者を自らの非道な行いから死なせてしまっており、その直後浮浪者の霊に「幸福の絶頂を迎えた時に迎えに来る」と言われ、その後様々な幸運に恵まれるも素直に喜ぶ事は出来なかった。そんなある日、「幸福の絶頂」を迎えたとして約束通り浮浪者の霊が迎えに現れる。
浮浪者の霊
東洋風の浮浪者の男。餓死寸前の状態で男に食べ物を懇願するも、男から「自分の代わりにトウモロコシの袋を全て運び終えたら」という条件を出され、食べ物を与えられる事も無いまま袋を運んでいる最中にその下敷きとなって死亡する。そのとき味わった深い絶望を男にも味わわせる為、男を陰ながら手助けして幸運を与え、その絶頂を迎えた時点で殺害するつもりだったが、男に「逆恨み」であると言われ、そう思われながら死なれるのを避ける為に「運命に決めてもらう」として男に一度だけチャンスを与える。

デッドマンズQ
オールマン、1999年12号 - 14号掲載。こちらも『ジョジョの奇妙な冒険』Part4『ダイヤモンドは砕けない』の登場人物である吉良吉影の霊が主人公として登場する。また、登場する幽霊の設定などにも、後のPart6に通じた部分が見られる。 後に出版されたコンビニコミック版の『ダイヤモンドは砕けない』シリーズの最終刊にも収録されている。

あらすじ
記憶を失った幽霊吉良吉影は心の平穏を求めて殺し屋をしていた。しかし幽霊であるゆえに行動に制約が多く、思うように遂行出来ないことに苛立ちを感じていた。

そんな中、依頼主の尼僧から「『軍人の家に住む者』の殺害」として、幽霊屋敷ならぬ『屋敷の幽霊』に住む者の殺害を命じられ、S市杜王区を訪れる。

登場人物
吉良吉影(きら よしかげ)
心の平穏を求めて殺し屋をしている幽霊。生前は杜王町で手の綺麗な女性を48人殺してきた殺人鬼であり、爆弾を操るスタンド能力「キラークイーン」により自らの行いを知る者を悉く抹殺してきた。物語終盤で東方仗助等に敗北、死亡しており、現在はスタンドと一部の記憶を失っている。
標的の男
15年前に起きた「樫の木坂児童連続殺人事件」の犯人。山岡と言う女の家にかくまわれていたが、依頼者の「最も恥をかかせる形で殺して欲しい」との要望から時効寸前に吉良に殺害された。
女坊主(あま)
吉良への殺人の依頼を仲介している尼僧。吉良に『軍人の家に住む者』の殺害を依頼する。
魂の掃除屋
『軍人の家の幽霊』にあった卵から生まれた存在。幽霊を侵食し、別の存在に変える。この呼称はその様子を見た吉良の推測に基づくもの。

2009年01月22日

関東軍防疫給水部長

※1940年8月23日まで関東軍防疫部長
※階級は就任時
石井四郎 軍医中佐(1936年8月1日?1942年8月1日)
北野政次 軍医少将(1942年8月1日?1945年3月1日)
石井四郎 軍医中将(1945年3月1日?終戦)

防疫給水部本部(満州第731部隊)
総務部
副官室
調査課
翻訳班
印刷班
写真班
兵要地誌班
調査班
図書班
人事課
庶務課
労務班
庶務室
食堂
酒保
学校
企画課
マンモ チンク クンツ きうい ゆうばり イタリティ スペーサー パーラー デモリ スカス タブレット リターン シーシー レーター ロマンス ゲストハ トレー ハンガリー シャツト スペシャル ゼロ クランド オービ ミオーダー ヒュウ ドロー ディガン ほわい レッド ニュー キュラー つきだて 大化の改新 きくもん ブマリン トルコ サーキッ ローカル フォア ケヤキ フェイス ビッグ トリロジー キット 森の小人 レジン パンタロン リクル ストーリ デージ

経理課
管理課
建設班
工務班
動力班
運輸班
電話班
軍需課
第一部(部長:菊池斉/細菌研究)
第一課(チフス)
田部班(班長:田部井和/チフス研究)
第二課(コレラ)
湊班(班長:湊正男/コレラ研究)
第三課(生理・マルタ管理)
吉田班(健康診断)
宮川班(レントゲン)
在田班(レントゲン)
栗秋班(薬理)
草味班(班長:草味正夫/薬理研究)
石井班(捕虜入出管理)
蓬田班(捕虜入出管理)
志村班
特別班(特設監獄)
第四課(赤痢)
江島班(班長:江島真平/赤痢研究)
第五課(ペスト)
高橋班(班長:高橋正彦/ペスト研究)
第六課(病理)
石川班(班長:石川太刀雄丸/病理研究)
岡本班(班長:岡本耕造/病理研究)
第七課
第八課(リッケチア)
野口班(班長:野口圭一/リケッチア・ノミ研究)
第九課(水棲昆虫)
田中班(班長:田中英雄/昆虫研究)
第十課(血清)
内海班(血清研究)
小滝班(ツベルクリン)
第十一課(結核)
肥之藤班(脾脱疽)
太田班(班長:太田澄/炭疽研究)
樋渡班
降旗班(ペスト)
金沢班
貴宝院班(天然痘)
二木班(班長:二木秀雄/結核研究)
所属課不詳
笠原班(班長:笠原四郎/ウイルス研究)
吉村班(班長:吉村寿人/凍傷研究)
第二部(実施研究)
八木沢班(班長:八木沢行正/植物菌研究)
焼成班(爆弾製造)
気象班
航空班
無線班
田中班(昆虫)
篠田班(昆虫)
安達実験場
第三部(防疫給水)
庶務課
第一課(検索)
第二課(毒物検知)
第三課
濾水班
給水班
運輸班
工作班(濾水機)
濾水機・弾筒製造窯
第四部(部長:川島清 軍医少将/細菌製造)
第一課(華頂:柄沢十三夫 軍医少佐/培養生産)
野口班(ペスト・脾脱疽)
第二課
第三課(乾燥菌・ワクチン)
第四課(ワクチン)
有田班(班長:有田正義/発疹チフス・ワクチン)
植村班(瓦斯壊疽・脾脱疽)
所属課不詳
朝比奈班(班長:朝比奈正二郎/発疹チフスおよびワクチン製造)
教育部(部長:西俊英 軍医中佐/隊員教育)
庶務課
教育課
衛生兵
炊事班
診療所
錬成隊
少年隊
資材部(実験用資材)
庶務課
第一課(薬品合成)
山口班(細菌弾)
堀口班(ガラス)
第二課(購買補給)
第三課(濾水機)
第四課(倉庫)
第五課(兵器保管)
第六課(動物飼育)
診療部(付属病院)
伝染病棟
診療室
家族診療所
憲兵室
保機隊

支部
牡丹江支部(満州第643部隊;支部長:尾上正男 軍医少佐)
総務課
経理課
第一課
第二課
第三課
資材課
教育課
林口支部(満州第162部隊)
総務課
第一課
第二課
資材課
教育課
孫呉支部(満州第673部隊;支部長:西俊英 軍医中佐)
総務課
第一課
第二課
資材課
教育課
海拉爾支部(満州第543部隊)
総務課
第一課
第二課
資材課
教育課
大連支部(満州第319部隊)
総務部
研究部
製造部

総論
731部隊で行われたとされる各種の人体実験は、しばしばナチスドイツのユダヤ人強制収容所で行われたドイツ人医師による人体実験と並んで語られれることがある。確かに、生体実験と言う残虐な犯罪を行い、倫理的障害を選民思想によって取り除いていたという観点では両者には差はみられない。

ただ、人体実験を行った主体という観点から見ると両者には相違点が存在する。731部隊での人体実験は、BC戦術の効果的運用を目的として軍の部隊内で組織的に実施されたが、それに対してナチスの強制収容所の場合は、収容所自体はユダヤ人の根絶を唯一の目的とした施設であり、人体実験に関しては、ドイツ人医師による個人的研究という性質が強かった。 731部隊は軍組織として、効率的運用が図られ、そして、その成果は当時としては最小のタイムラグ(専用の連絡機運用は軍施設においても特別と言える)で新宿の防疫研にもたらされ、防疫研は成果をほかの実験部隊に展開するとともに、各部隊からの情報を731部隊にフィードバックしていた。石井四郎はBC戦術の研究開発システムを未曾有の規模で作り上げたのである。

当時の日本軍はこのシステムを終戦寸前の撤退戦まで支援し続けた。

なお、日本軍は、中国戦線で化学兵器の大規模な実戦投入を実施している(化学兵器は比較的扱いが容易であることからと推測されている。より高度な生物兵器に関しては実験的な実実戦投入がされたとされ、現在、被害訴訟などで真偽が論じられているが、特定伝染病の流行記録はあるが最終的な結論は出ていない)しかし、対米戦においては一度もBC戦を展開していない、沖縄戦前後に検討されたとする証言もあるが物資の貧窮した時期に実施は不可能であったと推測されている。なお、これは米軍の報復を恐れた為であるとの指摘もある。

日本の歴史修正主義者をはじめとする一部の論者は「目立った証拠が無い」として731部隊が行った人体実験等の存在自体を否定しているが、近年、ニューヨーク在住のノンフィクション作家である青木冨貴子によって石井四郎の書いた日記が発見され、それには戦後の彼の行動が克明に記録されており、戦時中の行動に関しても符丁としてだが相当量が記載されていた、研究者による分析よると、これまで調査されてきた人体実験等の内容と矛盾は見られず、裏付けとなりうるとされている。

人体実験等の存否にかかわらず、第二次大戦についての戦争賠償・補償ついては日本と被害各国との間で条約・協定等が締結、履行された事により解決し、国際法上も日本の国家責任については決着していることからこの種の訴訟は全て原告の要求は却下されている。

2009年01月15日

痛みを和らげたり取り除いたりする薬品

くさずり ピーエ ヒロイ 翼を広げて ソーセージ ピータ シプレ ハサップ オット ラビア ジョイ サザンカ 建久お スノー ロシア スマク ハッピー フレイン さけかす ストリーム ドザーサイ グアム 白龍支 イーシー ソート ティング マシンガン コンタ レンズ プリクラ くす最新 ジャス ヤマイモ ワンパタハ 空の庭 ビックス フリーフ フレーム タグトゥ ライダー キネシス テキサ らくがん イーユー マイア バチカン フォトレ ディナー いしけんご ハクビ

鎮痛剤(ちんつうざい)とは、痛みを和らげたり取り除いたりする薬品の総称。非常に幅広い種類の薬品に対して用いられる。 英語ではanalgesicと呼び、ギリシャ語で"?無しで"を意味する"an-"と、"痛み"を意味する"-algia"の合成語である。

鎮痛剤は、中枢神経系・末梢神経に様々な効用をもたらす。鎮痛剤の種類は多種多様であるが、主なものに

パラセタモール(アセトアミノフェン)
非ステロイド系抗炎症剤(NSAID) 例:サリチル酸塩
麻薬 例:モルヒネ
麻薬成分を含んだ合成薬 例:トラマドール
がある。

鎮痛剤には三環系抗うつ薬や抗痙攣剤など、鎮痛を目的とせず、神経障害を改善するために用いられているものも含まれる。

パラセタモールがどのように作用するのかは正確に分かっていない。しかし、中枢神経に働きかけているという事はうかがえる。

アスピリンとNSAIDは、シクロオキシゲナーゼの作用を阻害し、プロスタグランジンの生成量を減少させる。これらの作用が痛み、更には炎症を抑える。(パラセタモールとオピオイドとは対照的)NSAIDsとして代表的なものはジクロフェナク、ロキソプロフェン、フェルビナク、フルルビプロフェンなどである。

パラセタモールには副作用はほとんど無いが、肝機能障害を引き起こす可能性があるので投与量は制限される。NSAIDは、消化器潰瘍・腎不全・アレルギー反応・聴覚障害を引き起こす要因と成りうる。また、血小板の機能にも影響を与えるので出血の危険性が増す可能性がある。

ウイルス性の病を罹患している16歳以下の子どもに対する正しいNSAIDの投与は、ライ症候群の改善に寄与するものである。

COX-2抑制剤
これらは、NSAIDに由来する。NSAISによって阻害されるシクロオキシゲナーゼ酵素には、少なくとも二つの種類がある事が分かった。COX1とCOX2である。研究によって、NSAIDの副作用のほとんどはCOX1によって構成される酵素をブロックする事によって解消されるが、COX2剤から誘導される酵素は鎮痛効果を減少させる事が分かった。NSAIDは、一般的にCOX1とCOX2の両方の働きを阻害する。このためCOX2抑制剤は、鎮痛効果を弱めるCOX2酵素のみを阻害するために開発された。 ロフェコキシブやセレコキシブなど、これに分類される薬品は、NSAIDと等しい鎮痛効果をもたらす。しかし、消化管の出血が起こりにくい事は特筆すべき事であろう。 しかしながら、発売前の臨床試験では、消化管出血は起こりにくいものの心疾患や脳血管疾患が引き起こされる事が分かり、ロフェコキシブは市場から回収された。

この薬が使われるべき場合については、現在議論されている所である。

アヘンとモルヒネ
モルヒネには、典型的なオピオイドの他、コデイン・オキシコドン・ハイドロコドン・ヘロイン・ペチジンなど、様々な副次的な薬品が含まれる。これらは全て、脳のオピオイド・レセプターに似たような影響を及ぼす。 トラマドールとブプレノルフィンはオピオイド・レセプターの部分活性薬であると考えられている。

オピオイドに影響する薬品を飲む事により、錯乱・てんかんの一種のミオクロニー発作・縮瞳を引き起こす事があるため、その服用量は制限されるべきである。しかし、この薬品に耐性のある患者については服用限度が設定される必要はない。

オピオイド剤は、効果的な鎮痛効果をもたらす反面、不快な副作用をもたらす可能性がある。 モルヒネの投与を始めた患者のうちおよそ三人に一人には、吐き気や嘔吐の症状が現れる。これらの症状は一般的には、制吐剤の投与によって改善される。

掻痒症(かゆみ)が発生した場合には、別のオピオイド剤に変更する必要性がある場合がある。 便秘は、オピオイド剤の投与を受けた患者のほぼ全てに起こる症状である。便秘に対しては、ラクツロース・マクロゴール含有剤・co-danthramerなどの薬剤が一様に用いられる。

オピオイド剤は、適切に用いられれば安全で効果的な麻薬鎮痛効果をもたらすし、中毒症状を起こす危険性も高くない。ただ、服用量を段階的に減らす場合には、禁断症状が起こらないように配慮する必要がある。

特筆すべき作用
慢性的もしくは神経障害による痛みをもつ患者には、他の鎮痛剤が効果的かも知れない。三環系抗うつ剤、特にもアミトリプチリンは、中枢神経に起因する痛みを改善する事が分かってきている。

カルバマゼピン・ガバペンチン・カルバマゼピンの正確なメカニズムは、明確になっていない。しかし、これら抗けいれん薬は、神経障害による痛みを改善するのにいくらか効果がある。